先日、他の石材店さんのお手伝いに行った時のことです。
中学生の子がお墓参りに一人で訪れました。
もう登校が終わって授業が始まるかくらいの時間です。
僕は、墓地でこの時間に中学生の子と出会うのにおどろき、
「おはよう」とあいさつをするタイミングを逃してしまいました。
次のタイミングで、「おはよう」とあいさつ。
「おはようございます」と返してくれました。
手拭などでお墓をきれいに掃除して、お墓参り。
おそらくお墓(お父さん?お母さん?わかりませんが。)と心の中でお話しされている
お墓参りでした。
学校の話、友達との話、などどんな話をしているのか、いろいろ考えてしまいます。
こんな時間にお墓参りというのも、いろいろ考えてしまいます。
何かに悩んでるのかな?
あ、そか。今日法事なのかな。だから学校お休みで、朝一でお墓参りに来たのかな?
どんな内容のお墓参りでもよいのですが、この子にとって
お墓があってよかったのではないかと感じています。
おしゃべりする対象があるから。そこに御骨というその故人の存在があるから。間違いなくそこにいるという証しだから。
その子にとっても、その対象、存在、証しのおかげで安心感が違うと思う。
安心感があるから、あれだけじっくりとお墓参りされていたのだと思う。
もし、この子にとって、お墓がなかったら・・・。
今生きている中でも、親に話せないことがある、親友に話せないことがある、1人で決断しないといけないことがある。
そのようなこと、私もあります。
知人に愚痴を言って、すっきりすることあります。
お墓にも、悩んでることを話してスッとする、決断することを話して頑張ろうと思える。
そうなるのは、やはり大切なお墓に安心感があるから。
また、大切な故人(仏様)が間違いなく応援してくれるから。
良い表情で帰っていかれました。
仏様も微笑んでおられるような青空でした。
人間も仏様も、幸せなお墓参り、いいですね。
※写真は内容とは無関係です。フリー素材を利用させていただきました。